アール・ヌーヴォー
曲がる線、植物のかたち、左右の揃わない画面。建築も、ガラスも、宝飾も、ポスターも、いっせいに同じ方へ流れました。名前は「新しい芸術」。この言葉自体は1880年代のベルギーの雑誌にもう出ていましたが、様式の名として広めたのは一軒の店です。1895年、パリのプロヴァンス通りにジークフリート・ビングが開いた画廊「メゾン・ド・ラール・ヌーヴォー」。店の名前が、時代の名前になりました。そのビングが何者かというと、1870年代から日本美術を扱っていた輸入商です。彼は1888年から『芸術の日本』という雑誌を英仏独の三か国語で出し、浮世絵の平らな色面と大胆な構図をヨーロッパ中に配りました。つまりこの帯は、印象派とは別の出口から流れ出たジャポニスムの川です。おまけの話をひとつ。この様式は1910年ごろには「古くさい」と切り捨てられ、半世紀ちかく忘れられていました。再評価されたのは1959年のニューヨーク近代美術館、1960年のパリ国立近代美術館の展覧会から。ここにも、遅れて届いた話があります。