仏教美術
ガンダーラで生まれた仏の姿は、シルクロードを通って東へ運ばれます。敦煌の莫高窟が掘られはじめたのは366年。以後およそ1000年、掘り続けられました。そこからさらに中国・朝鮮半島を経て、仏像と仏画は日本へ渡ります。祈りのかたちが美術のかたちを連れてくる——日本の美の水脈は、この大きな交換から始まりました。神マップに描いた信仰の風景と、ここで航路がつながります。その敦煌には、一つの部屋をめぐる長い話があります。1900年6月、道士の王円籙が第16窟の壁の裏に塗り込められた扉を見つけました。開けると、天井まで巻物が詰まった小さな部屋があった。第17窟、いわゆる蔵経洞です。4世紀から11世紀までの写本や絵、およそ5万点。漢語のほかチベット語・サンスクリット・ソグド語など、何種類もの言葉が同じ部屋に積まれていました。シルクロードが本のかたちでそこにあったわけです。そのあとが問題でした。1907年にスタイン、翌年にペリオ、続いてウォーナーやオリデンブルグが訪れ、大量に持ち出します。いま蔵経洞の中身は、ロンドン、パリ、サンクトペテルブルク、東京、北京に散っています。一つの部屋だったものが、五つの国に分かれてしまった。ただ、ここには続きがあります。1994年に国際敦煌プロジェクトが始まり、散らばった所蔵品を画像にして、ネットの上で一つに戻す作業がいまも進んでいます。物理的には二度と集まらないものを、写しの形でもう一度ひと部屋に並べる。この地図には写しの話が何度も出てきますが、これもその一つです。