ダダ
大量死の戦争を前に、「美しい絵」の無力を突きつけた運動です。1916年、中立国スイスのチューリッヒに戦火を逃れた人たちが集まり、キャバレー・ヴォルテールという店を開きました。名前の決め方が、この人たちらしい。辞書にペーパーナイフを挿して、開いたページにあった言葉をそのまま採ったと言われています。「dada」——フランス語で子どもの木馬のこと。意味はありません。意味がないことを選んだのです。この地図では、様式の名前はたいてい外から悪口として与えられてきました。ダダは自分で名乗った数少ない例ですが、その名乗り方が「名前が意味を持つこと自体を拒否する」というものでした。ちなみに後年、ツァラとフーゼンベックは「自分が名づけた」と言い争っています。無意味な言葉の所有権をめぐって。これ以上ダダらしい後日談もないと思います。そしてデュシャンは1917年、既製の便器に「R. Mutt」と署名して展覧会に出しました。会費を払えば誰でも展示できるはずの展覧会で、これは拒否されます。芸術とは何かという問いそのものを作品にしたこの一撃は、半世紀後のコンセプチュアル・アートまでまっすぐ届きました。