表現主義
見た世界でなく、感じた世界を描く。不安も孤独も、ゆがんだ線と強い色でそのまま画面に出す——都市と戦争の時代に、絵は心の記録になりました。ドイツでは二つのグループが軸になります。1905年、ドレスデンで建築を学ぶ学生たちが結成した「ブリュッケ(橋)」。1911年、ミュンヘンでカンディンスキーとフランツ・マルクが立ち上げた「青騎士」。ムンクの『叫び』には油彩・テンペラ・パステル・版画といくつものバージョンがあり、オスロの国立美術館とムンク美術館などに分かれて残っています。この帯の話には、重い続きがあります。1937年7月19日、ミュンヘンで「退廃芸術」展がひらかれました。ドイツ各地の美術館から没収された約650点が、薄暗い部屋にぎゅうぎゅうに掛けられ、けなす言葉と、美術館がそれを買った値段が横に貼り出されます。税金の無駄づかいだ、と見せるためでした。指弾された様式の一覧には、表現主義だけでなく、印象派・ダダ・シュルレアリスム・キュビスム・フォーヴィスム・そしてバウハウスまで並んでいます。この地図のかなりの部分が、そこに載っていたことになります。皮肉なのは客の入りでした。同じ時期に開かれた公認の「大ドイツ芸術展」の来場者は、「退廃芸術」展の4分の1にも届きません。貶すためにつくった展覧会が、その時代いちばん人を集めた近代美術展になってしまったのです。300万人以上が、けなされるために並べられた絵を見に来ました。