具体
1954年、関西に集まった若い作家たちが機関誌『具体』を創刊しました。白髪一雄は天井から吊ったロープにつかまって足で描き、田中敦子は約200個の電球をまとった『電気服』を着て立ちました。この地図では、様式の名前はたいてい外から——しかも悪口として——与えられてきました。ゴシックも、バロックも、印象派も、キュビスムも。けれど具体はちがいます。自分たちで名前を決めて、自分たちで名乗った。中心にいた吉原治良が言い続けたのは、たったひとつのことでした。「人のまねをするな」。そして彼らは、誰かに見つけてもらうのを待たずに、自分から海を渡ります。1956年、パリにいた仲間が批評家ミシェル・タピエに『具体』を手渡した。翌年タピエが来日し、その翌年には日本各地でアンフォルメルと具体を並べる展覧会がひらかれました。浮世絵が1867年のパリ万博で自分から見せに行ったのと、同じことを100年後にもう一度やっているわけです。2013年、ニューヨークのグッゲンハイム美術館で北米初の回顧展がひらかれました。