イタリアのデザイン
戦後のミラノでは、工場と職人と美術館が同じ街に居合わせていました。1954年、百貨店ラ・リナシェンテがコンパッソ・ドーロという賞をつくります(1964年からはADIが運営)。よくできた日用品を、国が誇る対象にした賞です。この帯の人たちは、椅子やランプをつくった人であると同時に、教える人でした。アキッレ・カスティリオーニは1950年代の終わりから、兄ピエル・ジャコモと「レディメイド」と名づけた家具のシリーズを出します。1957年の『セラ』は、本物の競技用自転車のサドルを鋼の柱に載せ、半球の台の上で不安定に立たせた腰かけでした。——この地図には、もう一脚、自転車から生まれた椅子があります。1925年にブロイヤーが自転車のハンドルから思いついた、あのスチールパイプの椅子です。30年をへだてて、同じ乗り物のちがう部品から、二脚の名作が出てきたことになります。そして「レディメイド」という言葉そのものは、1917年にデュシャンが便器を展覧会に出したときのものでした。芸術とは何かを問うために置かれた既製品が、半世紀後に、座れる家具として戻ってきたわけです。ブルーノ・ムナーリは1950年代の終わりから、子どものためのワークショップを始めました。教えるのではなく、材料と形と色を自由にさわらせる。1966年の著書『デザインとアート』では、デザインは美しいだけでなく誰にでも届くものであるべきだと書いています。エンツォ・マーリは1974年に『アウトプロゲッタツィオーネ(自分でつくる)』を発表しました。板と釘でつくれる家具の図面を公開して、誰でも自分で組み立てていい、としたのです。いまのオープンソースを、半世紀前に家具でやったようなものでした。1972年にはニューヨーク近代美術館が「イタリア——新しい家庭の風景」展をひらき、この国のデザインは世界の言葉になります。つくった物より、つくり方を配った人たち——ここも、バウハウスと同じ形をしています。