日本の現代美術
具体ともの派のあと、日本の作家はひとつの旗のもとに集まらなくなりました。この帯は、様式というより「それぞれの方法で続いている人たち」の置き場です。杉本博司は1980年から『海景』を撮り始めました。水平線で上下に分けただけの写真を、世界中の海で40年以上撮り続けています。どの海も同じに見えて、全部ちがう。『劇場』のシリーズでは、映画館で映画1本ぶんのあいだシャッターを開けっぱなしにしました。スクリーンは真っ白に飛びます。映画の全部を写すと、何も写らない。会田誠は1995年から99年にかけて『戦争画RETURNS』を作りました。戦争画という、日本の美術がいちばん触りたがらない場所に、正面から入っています(この地図の横山大観の項に書いた話の、50年後です)。名和晃平は2002年から『PixCell』を始めました。剥製をガラスの球で覆うと、表面がレンズになって、中の姿がどこにも定まらなくなる。Chim↑Pomは2005年に結成されました。都市の中で、許可の内と外のあいだに作品を置き続けています。山口晃は、洛中洛外図の「吹抜屋台」——屋根を外して中を見せる描き方——で現代の風景を描きます。ただし本人の説明は「回帰」ではありません。西欧絵画が入る前の日本画に活路を見いだそうとした、日本美術の近代化をもう一度自分でやり直してみよう、と語っています。懐かしがっているのではなく、やり直している。彼が1997年に会田誠のグループ展に招かれたことが、この帯のいちばん確かなつながりです。大竹伸朗は1977年からスクラップブックを作り続け、70冊を超えました。1996年には宇和島駅の「宇和島駅」というネオンの文字が捨てられると知って、自分で屋根に上って溶接を外し、一文字ずつロープで降ろして持ち帰っています。2009年には直島に、実際に入れる銭湯『I♥湯』を作りました。加藤泉は、筆をやめて素手で絵具を塗ります。木や石も彫ります。2007年のヴェネツィア・ビエンナーレに選ばれたときも、どの流派にも入っていませんでした。日本のポップアートとの関連を聞かれて、同意する部分もしない部分もある、と答えています。共通しているのは、誰も「◯◯派」を名乗っていないことです。この地図の第一の発見は「名前は後から、たいてい悪口として与えられる」でしたが、ここでは名前そのものが、まだ誰からも与えられていません。