デザインの側から来た絵
美術の学校から美術館へ、という道とは別に、広告とイラストレーションの現場から入ってきた人たちがいます。二人とも、海外で先に評価され、日本の美術館にはあとから入りました。田名網敬一は1936年生まれ。1965年に最初のアニメーションを作り、1975年には日本版『月刊プレイボーイ』の初代アートディレクターになっています。画面は極彩色で、金魚と目玉と髑髏が渦を巻いている。あの金魚には出どころがあります。9歳だった1945年、疎開先で100回以上の空襲を受けたとき、祖父の家の池の金魚が照明弾の光を反射して光った——本人がそう説明しています。あの派手さは、戦争の記憶でした。2024年8月7日、国立新美術館で世界初の大規模な回顧展が始まりました。その2日後、彼は亡くなっています。空山基は1947年生まれ。広告代理店から独立し、1978年ごろサントリーの広告で初めてロボットを描きました。「セクシーロボット」という呼び名は本人が付けたものではなく、画集の編集長が付けたものです。エアブラシで描かれた金属の光沢は、写真より金属らしく見えます。1999年にはソニーのAIBOをデザインし、これはニューヨーク近代美術館とスミソニアンの収蔵品になりました。この地図には、ポップアートが広告から来たことを書いた帯があります。日本では、その道がもう少し長く、もう少し遅く続きました。(田名網はしばしば「スーパーフラットの先駆」と書かれますが、村上隆の運動のメンバーではありません。理論が来る何十年も前から、同じ平面性をやっていた人です。)