縄文土器
煮炊きのための鍋が、なぜこんな形になったのか——この地図でいちばん答えの出ていない問いだと思います。新潟県で見つかる火焔型土器は、縁から燃え上がるような突起が四つ立ち、胴には渦が巻いています。最初の一個が出たのは1936年、長岡市の馬高遺跡。近藤篤三郎たちの調査でした。その一個につけられた愛称が「火焔土器」で、以後、同じ形の仲間は「火焔型土器」と呼ばれます。1999年には、十日町市の笹山遺跡から出た928点が国宝になりました。おどろくのは、これが実用品だということです。内側にはおこげが、外側にはススが残っています。おこげを科学分析すると、木の実も肉も魚も煮ていたことが分かりました。上が大きく張り出しているのは、ふきこぼれを防ぐためだという説もあります。つまり台所の鍋です。毎日火にかける道具に、これだけの造形を与えた人たちが5000年前にいました。名前の話も書いておきます。「縄文」と呼びはじめたのは、日本人ではありません。1877年に大森貝塚を掘ったアメリカ人エドワード・モースが、報告書で「cord marked pottery(縄の跡がついた土器)」と書きました。1879年の邦訳ではこれを「索紋土器」と訳し、のちに植物学者の白井光太郎が「縄紋」と呼びかえて、いまの「縄文」になります。この地図では様式の名前がたいてい悪口から始まりますが(→ゴシック・バロック・印象派)、ここでは外国人の観察メモから始まりました。ひとつ、正確に書いておきたいことがあります。「縄文土器は世界最古の土器」という言い方をよく見かけますが、それは違います。いまのところ世界最古とされるのは中国・江西省の仙人洞遺跡で見つかった約2万年前の破片で、日本でいちばん古いのは青森県の大平山元I遺跡の約1万6千年前。最古ではなく、最古級です。そして最後に、この地図にとっていちばん大事なこと。縄文土器が「美術」になったのは、つい70年ほど前です。1951年11月、岡本太郎が東京国立博物館でこれを見て衝撃を受け、翌1952年に『みづゑ』へ「四次元との対話——縄文土器論」を書きました。それ以降、日本の美術史の本は縄文から始まるようになります。それまでこれは考古学の資料であって、美術の展示品ではありませんでした。——アフリカの彫刻が「人類学の標本」として分類されていた話(→アフリカの彫刻)と、同じ形の話がここにもあります。物のほうは何も変わっていないのに、見る枠がひとつ変わるだけで、別のものになる。2021年、北海道・北東北の縄文遺跡群が世界遺産になりました。