日本画
この地図では、様式の名前はたいてい外からつけられてきました。日本画は、その最大の例かもしれません。1882年、アメリカから来たフェノロサが講演で "Japanese painting" と呼び、その訳語として「日本画」という言葉が生まれたとされています(通訳をしたのが岡倉天心でした)。西洋画が来るまで、それはただの「絵」だったのです。名前がついた瞬間から、それは守り、育てるものになりました。1889年に開校した東京美術学校には、日本画の科はあっても洋画の科がありません(洋画科ができるのは1896年)。国はまず日本画のほうを立てたのです。そして横山大観と菱田春草が輪郭線を捨ててぼかしで描きはじめると、評論家たちは「朦朧体」——ぼんやりして分からない絵——と呼びました。これも悪口でした(と言われています)。いまではその名が、そのまま技法の名前です。ひとつの国が同じ時代に二本の筆を持った、世界でも珍しい近代がここにあります。