ポップアート
缶スープ、漫画のコマ、スターの顔。崇高になりすぎた抽象への返歌として、いちばん身近なイメージが美術館に持ち込まれました。始まりはアメリカではなくイギリスです。1956年、リチャード・ハミルトンがロンドンの展覧会のために作ったコラージュが、この動きの最初の象徴になりました。ウォーホルは1962年にシルクスクリーンを使いはじめ、翌1963年に工房「ファクトリー」を開きます。複製と大量生産を、そのまま作品の方法にしたのです。——ところで、この地図で何度も出てきた「様式の名前はたいてい悪口だった」という話。ポップアートは、そうではありませんでした。誰がいつ言い出したかは諸説ありますが、はじめから普通の言葉として使われています。全部が同じ形をしているわけではない、ということも書いておきます。ウォーホルの最初の個展の話が、この帯らしくて好きです。1962年7月9日、ロサンゼルスのフェラス・ギャラリー。並んだのはキャンベルのスープ缶の絵が32枚でした。なぜ32枚かというと、当時売られていたスープの種類が32だったからです。この展示はさんざん笑われ、隣の画廊は本物のスープ缶を窓に積み上げて「こっちが本物」と札を出し、29セントで売りました。——その皮肉は、半分だけ当たっていたと思います。ウォーホルが売っていたのは缶でも絵でもなく、見慣れて見えなくなったものを、もう一度見させる仕掛けのほうでしたから。工房の名前が「ファクトリー(工場)」だったことも、そのまま宣言でした。つくるのではなく、生産する。作者が手を動かしていないものは作品なのか——この問いをウォーホルは60年前に、工房の名前ごと引き受けています。そしてその問いは、この地図のいちばん端にある「いま」まで、まだ続いています。