水墨画
墨の濃淡だけで山と水と霧を描く。禅とともに入ってきたこの技法を、日本の言葉にしたのが雪舟(1420–1506)です。彼は1467年、48歳で明へ渡りました。向こうで学んだのは技法だけでなく、「自分の目で山を見ろ」ということだったのかもしれません。帰国後に描いた絵は、いま国宝に6件指定されています。描かない部分=余白が絵の主役になる——西洋の油彩とはまったく別の原理が、ここで成熟しました。この帯には、この地図の他のどの様式とも逆を向いた考え方があります。油彩は塗り重ねられます。乾いてから上から直せるので、何度でもやり直せる。ところが墨と紙は、置いた線を消せません。にじみは待ってくれず、迷えばそのまま残ります。だから東アジアの絵は、うまく描くことと同じくらい、どこで筆を止めるかの技術になりました。中国で謝赫が「形が似ていること」より先に「気韻生動」を置いたのも、たぶんこの材料の性質と地続きです。足す絵と、引く絵。この地図の左半分と右半分は、絵の具のところから考え方が分かれていました。