YBA
1988年の夏、ロンドンの港湾地区にあった空き倉庫で、ゴールドスミス大学の学生たちが自分たちで展覧会を開きました。「Freeze」展。企画したのは在学中のダミアン・ハーストで、会場の壁のペンキ塗りも照明の設置も自分でやっています。画廊に呼ばれるのを待たずに、場所から自分で作った。ここから10年で、彼らはイギリスの現代美術そのものになりました。名前の話をします。「young British artists」という言い方は、1992年5月の『Artforum』誌でマイケル・コリスが使ったのが最初とされます。「YBA」という略語のほうは、1996年に批評家サイモン・フォードが『Art Monthly』の論考で作ったという説が有力です。世代と年齢と出身校でくくった、中立的な呼び名でした。この地図では「様式の名前はたいてい悪口から始まる」と書いてきましたが、ここではそうなっていません。もうひとつ大きいのが、広告王チャールズ・サーチの存在です。彼は彼らの最大の後援者になり、作品をまとめて買い、メディアに乗せ、自分の画廊で見せました。1997年の「Sensation」展は、そのコレクションを王立芸術院で見せたものです。連続殺人犯の肖像を子どもの手形で構成した作品が抗議の的になり、新聞が連日書き立てました。作品より騒ぎのほうが大きくなる、という現代の型が、ここではっきり出ています。