アングルダヴィッドの弟子で、生涯「線がすべてで、色はそれに従うもの」と考えた人です。1801年にローマ賞を取りましたが、政情が落ち着かず、イタリアへ発てたのは5年後の1806年でした。そこから18年、彼はローマにいます。奨学金が切れたあとも帰らず、訪ねてくる旅行者の鉛筆の肖像画を描いて食いつなぎました。